2015年4月4日土曜日

人生②


中退後はあまりに混沌としていた。

復学への挑戦もあった。
アルバイトや仕事による違う人生への挑戦もあった。
いわゆる土木建設業などでの肉体労働をするまでになっていた。

中学時代に始めたエレキギターや音楽活動や仲間とのやり取りもあった。
絵も描いていたようである。

現在アスリートとして肉体を鍛えることにも価値観を見出しているようであるが
当時はボクシングやボクサーというものにあこがれを持っていたようである。

確かに鍛え方など尋常ではないものがあった。

自己の内的な解決や折り合い場所を見つけることができず
最終的に心が折れてしまったようである。

きっかけは父親に手をあげたことからだった。

複数回カウンセリングや治療方針への慎重な決定があった。
外科手術同様、施術や入院には入念な説明と本人、または親族の同意が必要である。
したがって医療事故や診断ミスというものはなかった。

埼玉県境の精神病棟に入ることになった。

治療の期間はどれほどだったか不明であるが戻ってきたときには目は光を失っていた。

しかし沈静化作用によって以前のようなあれた状態、暴力もなくなり一進一退を繰り返しながら
前を向いて歩いていくことになる。

退院後は大泉病院への通院治療となり現在も続いているようである。

少なくともこの退院後の人生は限定的でありながらも真摯に自らの問題として取り組んだ時間があったことは間違いない。

が、一方で復習という火がどこかで密かに芽生え始めていた。







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