被害者の知らないところでこのようなブログでの信用失墜行為、名誉棄損、個人情報保護法違反を行うPlanetcrash
以下反証を行う。
いろいろ
「私のブログから兄に関すること一切を削除します。
兄の望む法定で争って勝訴できます。争点は1点です。医療事故の直後、私の必須静養中から始まって兄が私のことを精神障害者と至る所で言い回った発言に悪意の意図があったかどうか。そこが諍いの発祥だと相手が認めるのか、兄は世間一般では嘘というものを平然と語りますが法定を挟むと嘘というものが必ずしも偽証成立とはならないこと等々、双方の提示する諸行の検証だけで時間にして10年から20年はかかります。
→医療事故ではなく医師の診断のもとに行われた処方である。
またPlanetcrashの主張する争点は被害者の争点とは全く異なる。
被害者が起訴するのはすでに一部動画で公開している暴力行為、家屋など資産への破壊行為、SNSなどにおいて行った名誉棄損行為、個人情報保護法違反である。
どの点についてもすでに固められているため、裁定には数十年単位を要しない。
法廷においては立証能力によって決まる要素が多いという意味では偽証が存在する可能性は100%ないとは言えない。しかし今回の被害者の争点においてはすべて第三者が見て判断できるものであり(主に防犯ビデオ)、かつ、暴力行為、破壊行為においてはPlanetcrashの主張する民事的な争点とは著しく異なり犯罪性の強い刑法が関連する要件である。
略式で十分である。
私は兄の魂胆を知った時点でアート活動を「なりわい」にできないことをほぼ観念してました。彼女と出逢う以前です。兄が実家に住み着くことで自分の生活と活動の支障となることをかなり速い段階から両親に訴え続けてました。兄を実家から出せないで来てます。私の生活と活動の切迫の実態が実際どのくらいのものなのか両親は知ろうとしなかったことになります。結局、最大の貧乏くじを引かされたのは私です。活動、活動、と言っても活動に至る努力・発想・機会といったことは私独自が産んだエンパワーメントです。それを理不尽に奪い去る権利が誰にありましょうか。
→被害者の魂胆などは一向に関係はなく自己が選んだ職業や仕事において自立が可能な経済力を得られないのは本人の努力や才能の不足である。会社に雇用されるような仕事ではなく自営の仕事であれば仕事の質を上げることも成果を上げることもすべて自己の責任である。それが社会人として持たなければならない最低限の自覚である。
アート活動を「なりわい」にできないことを率直に問いただしてくださるかたが居てくれればブログでまどろっこしい文章を書かずに正直にそのことを白状してました。私なりに絶望を判断する先見の明は当時から持ってました。自分のブログでのまどろっこしい文章に対してその都度、周囲からかなり厳しい言及を受けました。本当にアートを愛する者は自分の作品を投げ捨てる行為をしてないハズです。
→本当にアートを愛し、またアートとして現出し、見るもの聴く者もアートとしてとらえるのは人が判断することである。
こう見られたい、こう評価してほしいという判断の強制を行うのは甘えている証拠である。
自分の信じる未来と幸せのために生きることがベストの人生でしょう。」
→ベストの人生などは存在しない。
誰もが口には出せない問題や苦労を抱えて生きている中で自我を主張するだけの人生など自分も他社も幸せにすることなどはない。そのような考え方から生まれるものだからこそ誰も見向きもしないのである。
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